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■ふうせん 解説

第一部と第二部とは話としては分断されているように思えます。

第一部では、ふうせんの花が咲くという幻想が予感されます。
果たしてそれは主人公の希望がえがいた思い込みだったのか。
それとも本当に赤いつぼみがふうせんになって飛んで行ったのか。

その結論は語られずに、代わりに主人公が小鳥になって話が終わります。


第二部では、ふうせんの花、ふうせんの実が最初から出てきます。
第一部の幻想が、第二部の背景として引き継がれているようです。

誰しも子供の頃、たくさんのふうせんにつかまって空を飛ぶ幻想を抱いたのではないでしょうか。このイメージは、それほど目新しいものでも、珍しいものではありません。

ただし、それをお話の中で実現するには、たくさんのふうせんの木、ふうせんの花が必要でした。

第一部でその予兆、ふうせんの花が出てきたことで、第二部のふうせんの花、ふうせんの木の実のイメージへと展開していったのです。赤いふうせんが野原一面に咲いている様子、森いっぱいに実っている様子は、特に脈略のない、いわば子供の心に灯ったイメージのようですが、この部分は私は見聞きしたことはありません。作者のオリジナルと言えるでしょう。

さて、本編ではいろんな人達や動物や乗り物がふうせんにつかまって飛んでいきます。

主人公も飛びます。

みんな笑顔で、空の旅を楽しんでいるようです。

しかしこのイメージは、大震災後、津波の被災者達と重なって見えてしまいました。最初はふうせんがあったら逃げられたかもしれないという、妙に子供っぽい幻想でした。

その内、そのイメージは、津波にのみこまれた人たちのたましいが、ふうせんといっしょに天上へ上っているイメージだと気付きました。

私は、その絵が無意識に表現していたイメージに気付いた時、愕然とし、瞬間、私はボロボロと涙を流して泣いてしまいました。その後も、画面いっぱいに多くのふうせんを描く時、やはり泣いてしまいました。

私は、人々が津波から逃げ惑う姿や、高台から津波を見て絶叫する姿、無力感に襲われて茫然自失となっている姿、助け合う姿を、映像や文章で何度も接しました。

「上さあがれ」「堤防越えたぞ!」「津波きてます!」「家が流れてる」「尋常じゃねえ」「全滅だぞ」「はやく!はやく!」「にげて!」「ゆめじゃないの?!」「こんなんなっちゃうの?」「ここで大丈夫か!?」「今2階ですが、ここもどうなるかわかりません!」「だめだ」「止めてくれ」「なにが防波堤だ。何が防潮堤だ。」「おじいちゃんが!」「ともだち心配だ。」「がんばれー!手離すなー!」「あっあー!!」他にも、映像には映っていないのですが、最初ははしゃいで笑っていた若者が、あまりの度の超えた事態に、次第に声が出なくなってしまう様子などもありました。

空を飛んでいる絵は、実はそういった映像を見返しながら描きました。

震災当日、大津波警報が発令されたことを知った時、私は三陸海岸の人たちは防災意識が高いから逃げてくれるだろう、大丈夫だ、と思いました。その時、私は東京に住んでいて、あまりに遠くて自分は何もできない、無力を感じていました。だから、彼らなら大丈夫だと自分に言い聞かせました。

しかし実際は、私の予想を超えていたどころか、誰も予想できなかったような巨大津波が太平洋岸に押し寄せていました。私が最初に映像で、逃げ遅れた人を目にした時、先ほどの楽観視が崩れました。「いったい何万人死ぬんだ。」私は慄(おのの)きました。

そして、その後の話ですが、助かった人たちも、同胞が流されていくのをただ見送るしかない、無力感を感じていたことを知りました。津波の力はわれわれの想像を遥かに超えて、あまりにも絶大でした。津波に呑まれた人が、どこかの知らないおっちゃんでも、同じ日本人。何とか助けてあげたかった。でも無理でした。あの莫大な津波から住民を救うことは誰にも出来なかった。目の前であの津波を見て生き残った被災者の方のショックは計り知れません。一方で、時間が経つにつれて語られた体験談を読むうちに、私が感じた無力感は、生き残った被災者の人たちとも共有していたのだと分かりました。

この解説は、しばらくしたら封印することになります。「亡くなった方の魂をふうせんに譬えるなどもっての外」と言われてしまう可能性もあるからです。ただ、上記の通り、私も日本人として犠牲者や被災者を大切に思っていたこと、そしてこの作品が生き残った人たちの気持ちを受け止めようとしていることで、何ら後ろ暗いことはありません。しかし、世の中には、私の心根まで到達せずに、言葉尻だけで曲解する人もいます。この震災と原発事故で炙り出されたそういう人たちをたくさん見てきました。そういった人たちをいたずらに刺激して、余計な波風を立てて、犠牲者の魂の安らぎを乱すことはしたくありません。


さて、ふうせんが飛んだあとにどうするか悩みました。

鎮魂の意味もありますが、私も含めて、生き残った人たちへ気持ちを向けなければなりません。

最初、いっぱいのふうせんで虹をつくって、上った人達が降りてくることにしようと思いました。

しかしその辺りは適当でいいと思いました。つまり一旦上がったから、降りてこなければおかしい、という物理法則に依拠する必要はなく、裏の筋書きに沿えばいいのだと。

恐らく津波にもまれた主人公、彼もふうせんにつかまって一旦は天上へ上っていくのですが、奇跡的に助かるという裏の筋書きです。亡くなった方達の魂=ふうせんによって主人公が助かるというよりは、助かったのは偶然に過ぎないとしても、九死に一生を得たことで、その後に強く生きようとする意志は、やはり九死があってこそ、犠牲者の人たちがいてこそ生まれるのだという、そういうことです。

主人公の夢によって物語がつながれるので、途中までいっしょにふうせんで飛んでいたゾウに運び役をお願いしました。

主人公が気を失っている間はずっとふうせんの夢を見ていたのです。そして空にできたふうせんの草原を、ゾウの背中に乗って散歩します。日が暮れると共に暖かかった陽の光も翳ってくるのですが、それでも主人公は寒さを感じずに、暖かさを感じ続けていることを不思議に思って、目を覚まします。するとその温かさは、お父さんの抱擁の温かさをだったのです。

そして夢うつつの中で、無数のしかし一人一人の死者のたましいが天上へ向かう姿を見送るのです。

プロフィール

永瀬宗彦 - Nagase Munehiko

Author:永瀬宗彦 - Nagase Munehiko

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