■木村政昭さんの相乗り地震予知について
2011年の東北地方太平洋沖地震M9.0を予測したと主張する木村政昭氏が、ホームページの地震予測が更新しました。
それによると、伊豆、小笠原諸島沖の海溝にて、2012年+-3年の範囲で、M8.5前後の巨大地震が発生するとのことです。画像を参照して下さい。

つい先日、塩井氏より地震予測が提示されたばかりです。
塩井氏は、GPSデータによる地震予測を試みている方で、これまでも同じ手法にて何度か予測をしていました。しかし残念ながら、直前で撤回したり、対応地震が無かったりと、結果はふるいませんでした。
ただし、地震予測の難しさを謙虚に捉えているようで、予測撤回や敗北宣言があるあたり、私は真面目な印象を受けており、また、GPSによる手法についても、私自身まだまだ改善の余地、つまり未来があるように考えております。
その塩井氏と軌を一にした木村政昭さんの予測更新をどう見るかが問題です。
もともと、木村政昭さんは伊豆諸島沖の地震について発生予測をしていました。3.11以降にも何度かその予測を見ました。ただ、その時点では、2026年の予測だったので、これではあまりに時間的に遠く、予測の意味が無いと、私は指摘したこともございました。
そして、それが急激に早まったとする今回の予測更新。
理由、背景となる理論の提示もなにもありません。著書を読めと言われても、そこに記載されているのは方法論であって、今回の予測の根拠ではないと思われます。
20年近くも地震予測が早まるほどの地殻変動が、予測震源域の付近で観測されたでしょうか?実際のところ、伊豆諸島北部の群発地震がありました。三宅島の噴火活動、硫黄島近海の海底火山噴火も観測されました。しかし、それほど大きな要因となるでしょうか?甚だ疑問です。
また、地震予測は科学研究の側面よりも危機管理の側面の方が本筋なのですから、いちいち過去の文献を当たってどうのこうのと言っているヒマはありません。つまり、今回の予測パラメータの提示が必要と考えます。それが一切見当たりません。
これでは他人の予測への相乗りではないかと言われても、文句は言えないと思います。
また、3.11を予測したとするページに追記がありました。これは私も指摘したことですが、予測はM8+-という表現でした。実際はM9でした。M8前後では過去の明治三陸地震や、昭和三陸地震クラスの再来を予測したに過ぎません。
確かに図中の予測震源域の円は500KMに及ぶ広範囲を捉えておりますが、もし、図の円が震源域の全体を示しているのであれば、図と数字は対応しなければならないのだし、もし震源の可能性海域を示しているのであれば、数字が正であると明示しなければ見る人は分かりません。曖昧です。
M8からM9までは30倍のエネルギーの差があります。それを誤差と表現することは言い過ぎです。単にM9.3とするには物怖じした、ということなのではないだと思いますが、的中させたとなると言いすぎでしょう。
参考までに全文引用します。
*************************************
2011年6月12日日曜日
想定外ではなかった! 4年前に公表されていた東日本大地震予測図の再評価(2011年6月12日)

内外の研究者から、2011年に発生した東日本大地震の予測についてのコメントや質問が私の元に寄せられています。それは、私達が、今から4年前(2007年)の第21回太平洋学術会議において、上に示した予測図を公表していたためです。
上図は、2007年6月13-18日の第21回太平洋学術会議で発表した共同研究の成果の一つです。発表より3日前の、このホームページの2007年6月10日の私のブログには、「都市を水没させるような地震はこれからも起こる」と題して、その講演の予告が掲載されています。
ところが本年2011 年に、まさに東北方面がそのような地震・津波に襲われました。これは偶然の一致と済ませて良いのでしょうか。なぜなら、上図の東北日本の太平洋沖には、M8前後の巨大地震発生が予測されているからです。
その予測による大地震発生時期は2005±5年で、実際の2011年に近く、予想マグニチュード(M)は8±で、実際のマグニチュードは9でした。
なお、太平洋学術会議で公表した地図(上図)で示した地震の目の大きさ(長径)は、480kmほどとなります。それを断層の長さとみなし、松田の計算式により再計算すると、マグニチュード(M)は9.3となります。これでは日本列島付近で発生したことのない大きさの地震になってしまいます。そこで、それは誤差に委ね、図ではM8±という表現にとどめたわけです。
したがって今回の2011年3月11日に発生した”東日本大地震”は、偶然にしても、4年前に予測・公表された東北沖の巨大地震そのものとしか言いようがありません。 いずれにしても、ほぼ予測に近い時期と場所に、予測に近い巨大地震が発生したことになります。
この研究は、以下のように共同研究で、発表は私が2007年6月に行いました。
研究者:Masaaki Kimura, Masahide Furukawa and Susumu Ogawa(発表者:木村)
講演タイトル:Submarine ruins as an indicator of active crustal movements along the Ryukyu Island Arc, western margin of the Pacific Plate(太平洋プレート西縁で行われている地殻変動を示す琉球列島の海底遺跡)。
講演要旨は、 “21st Pacific Science Congress, Abstracts. p.356” (第21回太平洋学術会議講演要旨集、356ページ)にあります。
なお、太平洋学術会議での発表論文の結論部を下に英文で示します。日本語では、「今回のアリューシャン列島沖の津波で特徴付けられるような大規模な津波の発生は、太平洋プレート西縁における新たなサイクルの地殻変動の兆候ではないかと思われる」との予測です。ここで言うアリューシャン列島沖の津波とは、2006年と2007年にクリル付近で発生したMw8.3と8.1の地震によるものを指します。
さて、結果的には太平洋学術会議での指摘通り、東北日本の太平洋沖で、2011年にM9という日本最大とされる巨大地震が発生してしまいました。
では、上記学術会議での予測はどのようになされたのでしょうか。それは、1)火山活動と地震活動との時空関係および2)すでに私の著書やホームページ等で紹介している”地震の目”などを中心とした方法によりました。
地震の目による方法は、本年3月15日のブログで示した方法です。 その時、大地震の名は”東北関東大地震”と仮称されていました。そのブログでは、 2010年までの気象庁 (JMA)が公表した震源データを使用しましたが、太平洋学術会議の時は同じJMAのデータですが、2007年までのものによりました。
以下、太平洋学術会議の要旨の一部(原文)
1.M.Kimura, M. Furukawa and S. Ogawa
Correspondence: kimura@sci.u-ryukyu.ac.jp
Submarine ruins as an indicator of active crustal movements along the Ryukyu Island Arc, western margin of the Pacific Plate.
Abstracts, 21st Pacific Science Congress, p.356
Concluding remarks:
- I wonder if recent large-scale tsunamis, characterized by the one off the Kuril Islands, may be one of the signs of the new cycle of the crustal movement along the western Pacific margin.
それによると、伊豆、小笠原諸島沖の海溝にて、2012年+-3年の範囲で、M8.5前後の巨大地震が発生するとのことです。画像を参照して下さい。

つい先日、塩井氏より地震予測が提示されたばかりです。
塩井氏は、GPSデータによる地震予測を試みている方で、これまでも同じ手法にて何度か予測をしていました。しかし残念ながら、直前で撤回したり、対応地震が無かったりと、結果はふるいませんでした。
ただし、地震予測の難しさを謙虚に捉えているようで、予測撤回や敗北宣言があるあたり、私は真面目な印象を受けており、また、GPSによる手法についても、私自身まだまだ改善の余地、つまり未来があるように考えております。
その塩井氏と軌を一にした木村政昭さんの予測更新をどう見るかが問題です。
もともと、木村政昭さんは伊豆諸島沖の地震について発生予測をしていました。3.11以降にも何度かその予測を見ました。ただ、その時点では、2026年の予測だったので、これではあまりに時間的に遠く、予測の意味が無いと、私は指摘したこともございました。
そして、それが急激に早まったとする今回の予測更新。
理由、背景となる理論の提示もなにもありません。著書を読めと言われても、そこに記載されているのは方法論であって、今回の予測の根拠ではないと思われます。
20年近くも地震予測が早まるほどの地殻変動が、予測震源域の付近で観測されたでしょうか?実際のところ、伊豆諸島北部の群発地震がありました。三宅島の噴火活動、硫黄島近海の海底火山噴火も観測されました。しかし、それほど大きな要因となるでしょうか?甚だ疑問です。
また、地震予測は科学研究の側面よりも危機管理の側面の方が本筋なのですから、いちいち過去の文献を当たってどうのこうのと言っているヒマはありません。つまり、今回の予測パラメータの提示が必要と考えます。それが一切見当たりません。
これでは他人の予測への相乗りではないかと言われても、文句は言えないと思います。
また、3.11を予測したとするページに追記がありました。これは私も指摘したことですが、予測はM8+-という表現でした。実際はM9でした。M8前後では過去の明治三陸地震や、昭和三陸地震クラスの再来を予測したに過ぎません。
確かに図中の予測震源域の円は500KMに及ぶ広範囲を捉えておりますが、もし、図の円が震源域の全体を示しているのであれば、図と数字は対応しなければならないのだし、もし震源の可能性海域を示しているのであれば、数字が正であると明示しなければ見る人は分かりません。曖昧です。
M8からM9までは30倍のエネルギーの差があります。それを誤差と表現することは言い過ぎです。単にM9.3とするには物怖じした、ということなのではないだと思いますが、的中させたとなると言いすぎでしょう。
参考までに全文引用します。
*************************************
2011年6月12日日曜日
想定外ではなかった! 4年前に公表されていた東日本大地震予測図の再評価(2011年6月12日)

内外の研究者から、2011年に発生した東日本大地震の予測についてのコメントや質問が私の元に寄せられています。それは、私達が、今から4年前(2007年)の第21回太平洋学術会議において、上に示した予測図を公表していたためです。
上図は、2007年6月13-18日の第21回太平洋学術会議で発表した共同研究の成果の一つです。発表より3日前の、このホームページの2007年6月10日の私のブログには、「都市を水没させるような地震はこれからも起こる」と題して、その講演の予告が掲載されています。
ところが本年2011 年に、まさに東北方面がそのような地震・津波に襲われました。これは偶然の一致と済ませて良いのでしょうか。なぜなら、上図の東北日本の太平洋沖には、M8前後の巨大地震発生が予測されているからです。
その予測による大地震発生時期は2005±5年で、実際の2011年に近く、予想マグニチュード(M)は8±で、実際のマグニチュードは9でした。
なお、太平洋学術会議で公表した地図(上図)で示した地震の目の大きさ(長径)は、480kmほどとなります。それを断層の長さとみなし、松田の計算式により再計算すると、マグニチュード(M)は9.3となります。これでは日本列島付近で発生したことのない大きさの地震になってしまいます。そこで、それは誤差に委ね、図ではM8±という表現にとどめたわけです。
したがって今回の2011年3月11日に発生した”東日本大地震”は、偶然にしても、4年前に予測・公表された東北沖の巨大地震そのものとしか言いようがありません。 いずれにしても、ほぼ予測に近い時期と場所に、予測に近い巨大地震が発生したことになります。
この研究は、以下のように共同研究で、発表は私が2007年6月に行いました。
研究者:Masaaki Kimura, Masahide Furukawa and Susumu Ogawa(発表者:木村)
講演タイトル:Submarine ruins as an indicator of active crustal movements along the Ryukyu Island Arc, western margin of the Pacific Plate(太平洋プレート西縁で行われている地殻変動を示す琉球列島の海底遺跡)。
講演要旨は、 “21st Pacific Science Congress, Abstracts. p.356” (第21回太平洋学術会議講演要旨集、356ページ)にあります。
なお、太平洋学術会議での発表論文の結論部を下に英文で示します。日本語では、「今回のアリューシャン列島沖の津波で特徴付けられるような大規模な津波の発生は、太平洋プレート西縁における新たなサイクルの地殻変動の兆候ではないかと思われる」との予測です。ここで言うアリューシャン列島沖の津波とは、2006年と2007年にクリル付近で発生したMw8.3と8.1の地震によるものを指します。
さて、結果的には太平洋学術会議での指摘通り、東北日本の太平洋沖で、2011年にM9という日本最大とされる巨大地震が発生してしまいました。
では、上記学術会議での予測はどのようになされたのでしょうか。それは、1)火山活動と地震活動との時空関係および2)すでに私の著書やホームページ等で紹介している”地震の目”などを中心とした方法によりました。
地震の目による方法は、本年3月15日のブログで示した方法です。 その時、大地震の名は”東北関東大地震”と仮称されていました。そのブログでは、 2010年までの気象庁 (JMA)が公表した震源データを使用しましたが、太平洋学術会議の時は同じJMAのデータですが、2007年までのものによりました。
以下、太平洋学術会議の要旨の一部(原文)
1.M.Kimura, M. Furukawa and S. Ogawa
Correspondence: kimura@sci.u-ryukyu.ac.jp
Submarine ruins as an indicator of active crustal movements along the Ryukyu Island Arc, western margin of the Pacific Plate.
Abstracts, 21st Pacific Science Congress, p.356
Concluding remarks:
- I wonder if recent large-scale tsunamis, characterized by the one off the Kuril Islands, may be one of the signs of the new cycle of the crustal movement along the western Pacific margin.