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■作風の多様性について解説

永瀬宗彦の美術作品の技法は主に油彩・水彩・パステル・ペン・木炭・鉛筆等で、重層的な描き方をしているにせよ、専ら平面作品です。

そして作風は珍しいほど様々です。鑑賞される方は往往にして、この作風の違いに困惑するようです。今回はこのことに触れてみようと思います。

あたかも多重人格である様な私の作風の違いですが、単に思うがままに描いた結果です。その時々に描こうとしたモチーフの特性に応じて、最適な技法や表現方法を選んで、モチーフの特徴を捉えて、際立たせ、モチーフの個性を引き立たせるように描けば、同じ作家でもまったく異なる印象の絵画が出来上がるのは自明です。

それと、描画技術や絵具特性に関する知識は、汎用性の高いものです。つまり、一つのものが描けたら別のものも描けることが多いのです。ですから、モチーフをどこから選ぶかによって、どうとでも描き分けすることができるはずなのです。もちろん、底流には私という通奏低音が流れているはずなので、一見別人が描いたようでも、よくよく眺めてみると、それぞれに類似性を指摘できるかもしれません。しかし私は、自分の絵を自己表現とはとらえていません。類似性が見えてしまうことは、作者の影が画面に映りこんでいるという意味で、鑑賞を妨げる要素であり、私にとってよくないことです。私はむしろ滅私をしているのです。

そして、私は作品一点一点が、それぞれ独り立ちできるように描いています。独り立ちとは、その絵だけで満足できる、他の要素は必要ない、といった状態です。完結性とでも言えるかもしれません。有名な作家でなくとも、絵にこの独立性があれば、人は絵そのものに惹きつけられるでしょう。それが目的です。

もしそれが成功しているとすれば、一人の鑑賞者が一つの作品にしっかりと向き合った時、その作品に満足するのですから、他の作品は目に入らないことになります。同時に、その際、並べて見た時に感じていた作風の多様性は、雲散霧消しているのではないでしょうか。私は評論家でも美術史家ではありません。私にとっては、絵画作品を横に並べて見比べることは、あまり意味を持たない、興味のないことなのです。

さて、ではなぜ、独り立ちさせるのでしょうか?

絵画は持ち主の生涯に寄り添うものだと思います。その期間は、何十年と長くなります。持ち主が違う人に変われば、さらに何十年と寄り添うことになります。何人も持ち主が変われば、何百年という期間、絵は生きる続けることになります。

その間、世の中は転変します。いっときの流行は呆気なく過ぎ去り、価値観は大きく変わります。それでもその絵が輝きを失わずに、持ち主から大事にされるためには、絵の中に一本芯が通っていなければなりません。揺るがない芯です。独り立ちできるとは、その芯を持っている、ということです。私は、自分の作品に恒久的に生きてもらうために、そういった芯を持たせ、周りから独り立ちさせようとしているのです。

描くべきモチーフを描くべき技法で描く、そしてそれぞれが独り立ちする。逆説的に言えば、総体としてパターン化されてしまうこと、そして歴史に埋没することを拒む。持ち主に対して、金銭的価値でもなく、歴史的価値でもなく、絵画としての輝きを放ってほしい。こういった考え方ですから、私自身は自分の作品が多様であることに違和感はありません。むしろ、どうして作風を統一させようとするのか、その動機はいったい何なのか、訝しく思うことすらあるのです。





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永瀬宗彦 - Nagase Munehiko

Author:永瀬宗彦 - Nagase Munehiko

画家・永瀬宗彦の雑記帳です。

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