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■ガッカン人

1974年。学生会館は未完成のうちに、学生運動で荒ぶる学生達によって奪取された。途中だった内装工事は停止され、すぐさま学生の活動が開始された。そして奪取から19年経っても工事は再開されず放置され続けた。そのため、建物内部はコンクリートが剥き出しになり、その匂いが異様なほど立ちこめる結果となった。

私が学生会館に初めて足を踏み入れた時は、すでに時代は1990年代半ばだった。バブルの夢覚めやらぬころだ。それにも関わらず、学館の壁面には時代錯誤はなはだしいゲバ文字のチラシが並んでいた。いや、並ぶどころではない。チラシは上から上から貼られ、幾重にも折り重なり、言わば「垂直の地層」を形成して、へばり付いていた。もし深く掘り進んだならば、70年代の化石が発見できたはずだ。

外観は恐ろしく汚く、入り口は狭い。内部は薄暗くジメジメしていて、一見して排他的であり、誰も入りたがらないような建物だった。しかし、髭をたくわえた応援団員がカチカチと靴を鳴らして歩き、一方で長髪のヒッピーじみた人物がパンタロンを靡かせて歩いていた。もちろん平均的な学生も数多く出入りしていた。とにかく、意外にも人が引っ切り無しに往来していた。

学生による自治を標榜し、大学当局者を寄せ付けない一方で、たまに別の当局のガサ入れの噂があった。外堀公園には「私服」が過激派の様子を伺っているとも言われていた。たまにデモがあると、キャンパスの周囲には警戒車両が横付けされた。

24時間出入り自由だった。22時半ごろには閉館の放送が流れ、23時には正門の門扉は閉められるが、学生達はそれを乗り越えて学館に出入りした。警備員は見てみぬフリをするどころか、ギリギリに入ってくる学生には通用門を開けてくれた。彼らは学生組織と連携しているとも言われていた。

いわゆるガッカン人という人種がいた。講義に出ずに、学館の部室に入り浸っていると、そうやって周りから揶揄されたものだ。最深の意味は、左翼活動のために学館に居住している人達や、学館の幹部となり仕事のために寝泊りしているような人の蔑称であった。しかし一般人であっても、やんごとない事情によりそれに近い生活を送っていた人もいた。日の当たらず風通しも悪い部室で寝泊りすることは不健康極まりないが、何よりその浮世離れしたところが、


学館ベビーという言葉があった。左翼のカップルが学館で産み落とした子供がいるという話だ。一時期、痩せぎすの左翼学生がスピーカーで弱々しく演説するのを指して、あれは学館ベビーが成長して親の後を継いだのだとおちょくる人がいた。しかもその彼はブラジャーを着けているという妙な伝聞もあった。

GLCとはグループリーダーズキャンプの略で、学生団体の幹部、サークルの部長、副部長などとその候補が参加する、一泊の合宿であった。私はそれに、1年生も終盤の1月に参加した。

余興の「とり」はルポルタージュ研究会だった。「次はルポルタージュ研究会」と司会が言うと、一部の幹部が素早く動いた。ステージの前のテーブルが除けられ、座布団が投げ入れられて、手際よく敷き詰められた。今までのサークルとは明らかに扱いが違うと感じた。すると、見るからに老けた30代と思しき人が登壇し、なにやら演説でも始まるのかと思いきや、「ロケット砲」と発するが早いか、敷き詰められた座布団めがけて彼自身が飛び込んだ。ところが宴席はまったく盛り上がらず、幹部らから「お疲れ様でした。」の声が上がり、淡々と片付けが始まった。先輩に聞くとその余興は恒例とのことだった。


廊下は雑然としていて無秩序だった。いやしかし案外そこには何らかの秩序があり、つまり無秩序に見える廊下に過ぎなかった。

学館は本部棟とホール棟に分かれており、本部棟には学生団体の本部およびサークルの部室があった。それらはBOX(ぼっくす)と言われていた。例えば私が所属していた「美術集団あ?と」という時代を感じさせる名称の美術サークルの部室はBOX719だった。縦長の建物の一番端の部屋だったのだから、1フロアに19部屋はあったのだろう。


ホール棟は地上5階、地下2階建てだった。小中規模のいくつかのコンサートホール。そして音楽練習スタジオ、展示用ホール、アトリエ、会議室があった。それらは15番、10番というように番号で呼ばれていた。

大ホールでは主に学内のサークルが発表を行っていたが、それなりに著名なミュージシャンのライブや演劇が催されることもあった。

「ちかしょく」は倉庫として使用されていた。「じぎょうい」に言って空けてもらうのだ。


労働争議や学生運動が盛んな高度経済成長期ならともかく、バブルの夢覚めやらぬ時期のこの騒ぎは、さながら大時代の映画を観ているようだった。

学内誌では、裏手のY神社とのコントラストを面白おかしく揶揄していた。

私はサークルの幹部候補になり、この学生会館の歴史について学ぶことになった。その際、上記の奪取事件のことを初めて聞いたのだ。異様なコンクリート臭にも理由があることを知り、それが自分の生年と同じ年の出来事である偶然に驚いた。



ワクワクする体験というのはこういうことだと思った。サークルでは思想がぶつかり合った。ネコの額ほどの校庭では、左翼学生がしわがれた声をあげていた。平均的な学生はそんな声を無視した。

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永瀬宗彦 - Nagase Munehiko

Author:永瀬宗彦 - Nagase Munehiko

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